ネルソンにレッド・アート・ギャラリーというギャラリーがあります。薄い三角形の建物の1階の尖った角の入り口から入ると、天井の高い、古い木の床を磨き上げた空間があり、NZに住む人による絵画、ガラス、ジュエリー、中国の骨董品、絨毯、イギリスやアメリカのグリーティングカード等がそこここに置いてあります。賑やか・鮮やかが主流のネルソンに珍しく落ち着いていて、ここに一歩踏み込むとすぐ前の通りの騒音が聞こえず、自然に一枚の絵をゆっくり見てしまう場所です。私にとって禅寺のようなここの雰囲気が好きで、何かにつけ覘きに行っています。
織が上手になったらここで私の作品も扱っていただきたいという下心もあるにはあったのですが、以前、写真と繊維製品を加えるとギャラリーの見た目が煩雑になるとオーナーのJayさんに伺い、こちらはあきらめていました。
私は今年の初めからジムに行き始めたのですが、1台機械が体に合わなく、右手が痛くなっても更に数週間がんぱったので、腱鞘炎のような状態から親指が動かなくなってしまい、ここ数ヶ月アルミの芯の入ったサポーターをして、マッサージと針に通っています。織は頭の中の「心算織」しかできないのですが、計画だけでもいっぱい立てておこうと、美しいものを見にレッド・ギャラリーにも足しげく通っています。見るに見かねてか、先週Jayさんが「いつか織を持っていらっしゃいよ。」と声をかけてくださいました。
作品を置いていただくのは無理でも、こんなに素敵なギャラリーを創られたし、ギャラリーの前はニットを扱っておられたから、アドバイスだけでもいただこうと今朝数点ショールをお見せした所、即座に扱っていただけることになり、「家にあるもの全部見せて」、「他にこういうのも数点欲しい」、と、とんとん拍子に話が進んでしまい、家に帰って来てた今も私はまだあっけに取られている状態です。
6月11日以降全国的に寒波が続き、よそでは洪水、大雪、停電等が続いているのですが、ネルソンは例年より寒いだけでのどかです。今日はやけに空気が澄んでいて、我家から見えるみえるタスマン湾と西の山は鮮やかな色が並んでいるという感じで、陰影の無い不思議な姿をしており、今日の私の心境を映しているかのようです。
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アート・ギャラリーのホームページはこちらです。The Red Art Gallery
2006年6月22日木曜日
2006年6月4日日曜日
「きれはし」という言葉
子供の頃この言葉が好きでした。「きれ」は布のことだと思い込み、「きれはし」は即ち「布の端」、耳周辺だと信じていました。私は小学校に上がる直前まで一人っ子だったので、母に随分沢山服を縫ってもらい、その都度お余りをもらってお人形や熊さんにそれを巻きつけたり、結びつけたり、既製の服に縛り付けたりして、針を使わせてもらえなくても「妹弟達」におそろいを着せて遊びました。その頃は「きれ」は母の縫い物のため、「きれはし」は私の宝物だったのです。
ところが本当は「切れ端」だったんですね。この言葉は大人になっても会話ではよく使いましたが、書いたのは(少なくともコンピューターに入力して変換したのは)先週「切れ端・糸くず・独り言」と題を決めた時が初めてでした。なんてへんてこな変換だろうと思い、早速重たい広辞苑を広げ老眼鏡をかけ調べてみたらやはり「切れ」でした。
手織りの布は用途、材料、織、打ち込み、仕上げ洗いによって差はあるものの、いわゆる「本職」の方が織ったものでない限り、機械で織った布より解れ易いものが多く、ゆえに手織りを切ったり縫ったりする場合、ジグザグか、できればロックミシンできちんと始末をし、なるべく曲線の少ないパターンを使います。私が始めて自分の手織りに鋏を入れた時は深呼吸をして目をつぶり、それから薄目を開けて、えいやあと切ったのを覚えています。これは母に頼んで妹にスカートをあつらえてもらおうと思って織った生地でしたが、仕上げ洗いが気に入らなかったので、機のベンチのお座布団カバーにしました。いざ切ってみるとかなりしっかりしていて、折り返しもしないブランケット・ステッチだけで5年たった今でも解れないで私に敷かれています。つい先日残りで新しい機の為にもう一つ薄手のお座布団を作りました。
手織りを始めた頃は、作る作品を決め、寸法を決め、縮絨率等から必要な経糸の長さを逆算していったのですが、最近は経糸は短い時で整経台で最長の8m、長い時はミルで22mと決め、作品を織った残りで「きれ」を作っています。ベストの前身頃、既製のシャツに付けるポケットや肘パッチ、クッション・カバーと、大きさも用途もまちまちですが、先日この手の「きれはし」をまとめてみたら思ったより沢山貯まっていたので、その内また鋏を握り締め、腹を決め、えいやあと切ることになりそうです。
ところが本当は「切れ端」だったんですね。この言葉は大人になっても会話ではよく使いましたが、書いたのは(少なくともコンピューターに入力して変換したのは)先週「切れ端・糸くず・独り言」と題を決めた時が初めてでした。なんてへんてこな変換だろうと思い、早速重たい広辞苑を広げ老眼鏡をかけ調べてみたらやはり「切れ」でした。
手織りの布は用途、材料、織、打ち込み、仕上げ洗いによって差はあるものの、いわゆる「本職」の方が織ったものでない限り、機械で織った布より解れ易いものが多く、ゆえに手織りを切ったり縫ったりする場合、ジグザグか、できればロックミシンできちんと始末をし、なるべく曲線の少ないパターンを使います。私が始めて自分の手織りに鋏を入れた時は深呼吸をして目をつぶり、それから薄目を開けて、えいやあと切ったのを覚えています。これは母に頼んで妹にスカートをあつらえてもらおうと思って織った生地でしたが、仕上げ洗いが気に入らなかったので、機のベンチのお座布団カバーにしました。いざ切ってみるとかなりしっかりしていて、折り返しもしないブランケット・ステッチだけで5年たった今でも解れないで私に敷かれています。つい先日残りで新しい機の為にもう一つ薄手のお座布団を作りました。
手織りを始めた頃は、作る作品を決め、寸法を決め、縮絨率等から必要な経糸の長さを逆算していったのですが、最近は経糸は短い時で整経台で最長の8m、長い時はミルで22mと決め、作品を織った残りで「きれ」を作っています。ベストの前身頃、既製のシャツに付けるポケットや肘パッチ、クッション・カバーと、大きさも用途もまちまちですが、先日この手の「きれはし」をまとめてみたら思ったより沢山貯まっていたので、その内また鋏を握り締め、腹を決め、えいやあと切ることになりそうです。
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