ご無沙汰しています。最近一生懸命本業の織をしています。レッド・ギャラリー、日本、NZの北島からご注文が続き、また1月の個展の準備も始まり、機は3台とも常に経糸がかかっており、そのほか既に整経(長さを測った)経糸が家中に垂れ下がっています。
最近気がつきましたが、デザインや織に熱中していますと、言葉で物事を理解したり解説するのが億劫になります。走馬灯のように色やイメージが頭の中に映し出され、これらが記憶から消えないうちに、色見本や、(私は全く絵が描けないのでデッサンはできないのですが、)線画や言葉のリストで記録しています。織るという身体的には比較的単純な動作を繰り返していると、走馬灯も一層忙しく、日によっては主人と話をするのも煩わしい程です。
子供の時児童作家になりたかった私は40をだいぶ過ぎるまで常に言葉と仲良くし、言葉を通して人生を経験してきました。ここに来て、人生の一瞬一瞬を自分が納得行くまで言葉で解説していると、そこで時間が止まり、次の経験を逃してしまうかも知れないと気がついたのです。今まで不可解だった人達の生き方が分かってきた気もするし、改めて本人も知らないような人間の適応性と能力に感心もさせられました。(この年で自分に感心できるなんて全く幸せですよね!)
贅沢を言わせていただければ、言葉の無い生活とある生活、スイッチで切り替えられるともっと便利になるのですが。