Monday, August 14, 2006

個展を「造る」 - その1

去年の9月以来織の展覧会に2度ほど出展をさせていただき、市内のギャラリーに作品を置いていただいているものの、私は織物の展覧会も数えるほどしかお目にかかったことがなく、個展など拝見したこともありません。それなのに、来年の1月末に個展を開催することになってしまいました。

ネルソンのちょうど真ん中辺りの薬局の2階に、市がギャラリー203というスペースを持っています。小さくて、壁なんてちょっと汚れていて、便利な割りにそんなに人の入らない所ですが、新人やアマチュア・アーチストに安価で発表・展示の場所を提供する目的の施設で、趣旨に賛同し、まめに通っているうちに、お世話係をされている画家のロイド・ハーウッド氏と親しくなりました。

去年の5月市が何の前触れもなくこのギャラリーの母体であるアーツ・カウンセルへの資金援助を断ち切った後、ギャラリーの時間を大幅に短縮して、資金繰りに活躍されたハーウッド氏に、この5月のある日「去年は大変でしたねえ。」と呑気に話しかけたら、1時間後には二人で来年のカレンダーを探して、私の名前を書き込むところまで話が進んでしまいました。

3年程前友人が3人で作品展をした時、特に、奥の天井の高い部屋が気に入り、いつかここで個展をしたいと思っていたので、時期が早まっただけとも言えるのですが、まだ「織人」として未熟なのになんと大胆なんだろうと他人事のように唖然としながら、せっせと計画を練っております。今一番の課題はお店のショーウィンドーではなく、ギャラリーの展示として、どうやって織物を見せようかという点です。

2007年1月29日から2月16日まで開催します。

会場入り口より中を見る。こちらは3.63mの高さの天井。ここから梯子のようなものを吊るし、そこからショールやスカーフを垂らしたいのですが。。。

Saturday, August 5, 2006

作品を扱っていただくということ




ドキドキしてしまって自分で見に行く勇気が無かったので、初日の今日、主人に見に行ってもらいました。嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、そして、レッド・アート・ギャラリーに見合った良いものを織ろうと決意新たにした土曜日でした。

(ギャラリーの中は多少暗いので写真がぶれてしまったのですが、主人曰く「暗いから余計に(作品が)良く見えた。」そうです。)

Saturday, July 22, 2006

右脳左脳、右往左往

ご無沙汰しています。最近一生懸命本業の織をしています。レッド・ギャラリー、日本、NZの北島からご注文が続き、また1月の個展の準備も始まり、機は3台とも常に経糸がかかっており、そのほか既に整経(長さを測った)経糸が家中に垂れ下がっています。

最近気がつきましたが、デザインや織に熱中していますと、言葉で物事を理解したり解説するのが億劫になります。走馬灯のように色やイメージが頭の中に映し出され、これらが記憶から消えないうちに、色見本や、(私は全く絵が描けないのでデッサンはできないのですが、)線画や言葉のリストで記録しています。織るという身体的には比較的単純な動作を繰り返していると、走馬灯も一層忙しく、日によっては主人と話をするのも煩わしい程です。
子供の時児童作家になりたかった私は40をだいぶ過ぎるまで常に言葉と仲良くし、言葉を通して人生を経験してきました。ここに来て、人生の一瞬一瞬を自分が納得行くまで言葉で解説していると、そこで時間が止まり、次の経験を逃してしまうかも知れないと気がついたのです。今まで不可解だった人達の生き方が分かってきた気もするし、改めて本人も知らないような人間の適応性と能力に感心もさせられました。(この年で自分に感心できるなんて全く幸せですよね!)

贅沢を言わせていただければ、言葉の無い生活とある生活、スイッチで切り替えられるともっと便利になるのですが。

Thursday, June 22, 2006

レッド・アート・ギャラリー

ネルソンにレッド・アート・ギャラリーというギャラリーがあります。薄い三角形の建物の1階の尖った角の入り口から入ると、天井の高い、古い木の床を磨き上げた空間があり、NZに住む人による絵画、ガラス、ジュエリー、中国の骨董品、絨毯、イギリスやアメリカのグリーティングカード等がそこここに置いてあります。賑やか・鮮やかが主流のネルソンに珍しく落ち着いていて、ここに一歩踏み込むとすぐ前の通りの騒音が聞こえず、自然に一枚の絵をゆっくり見てしまう場所です。私にとって禅寺のようなここの雰囲気が好きで、何かにつけ覘きに行っています。

織が上手になったらここで私の作品も扱っていただきたいという下心もあるにはあったのですが、以前、写真と繊維製品を加えるとギャラリーの見た目が煩雑になるとオーナーのJayさんに伺い、こちらはあきらめていました。

私は今年の初めからジムに行き始めたのですが、1台機械が体に合わなく、右手が痛くなっても更に数週間がんぱったので、腱鞘炎のような状態から親指が動かなくなってしまい、ここ数ヶ月アルミの芯の入ったサポーターをして、マッサージと針に通っています。織は頭の中の「心算織」しかできないのですが、計画だけでもいっぱい立てておこうと、美しいものを見にレッド・ギャラリーにも足しげく通っています。見るに見かねてか、先週Jayさんが「いつか織を持っていらっしゃいよ。」と声をかけてくださいました。

作品を置いていただくのは無理でも、こんなに素敵なギャラリーを創られたし、ギャラリーの前はニットを扱っておられたから、アドバイスだけでもいただこうと今朝数点ショールをお見せした所、即座に扱っていただけることになり、「家にあるもの全部見せて」、「他にこういうのも数点欲しい」、と、とんとん拍子に話が進んでしまい、家に帰って来てた今も私はまだあっけに取られている状態です。

6月11日以降全国的に寒波が続き、よそでは洪水、大雪、停電等が続いているのですが、ネルソンは例年より寒いだけでのどかです。今日はやけに空気が澄んでいて、我家から見えるみえるタスマン湾と西の山は鮮やかな色が並んでいるという感じで、陰影の無い不思議な姿をしており、今日の私の心境を映しているかのようです。


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アート・ギャラリーのホームページはこちらです。The Red Art Gallery

Sunday, June 4, 2006

「きれはし」という言葉

子供の頃この言葉が好きでした。「きれ」は布のことだと思い込み、「きれはし」は即ち「布の端」、耳周辺だと信じていました。私は小学校に上がる直前まで一人っ子だったので、母に随分沢山服を縫ってもらい、その都度お余りをもらってお人形や熊さんにそれを巻きつけたり、結びつけたり、既製の服に縛り付けたりして、針を使わせてもらえなくても「妹弟達」におそろいを着せて遊びました。その頃は「きれ」は母の縫い物のため、「きれはし」は私の宝物だったのです。

ところが本当は「切れ端」だったんですね。この言葉は大人になっても会話ではよく使いましたが、書いたのは(少なくともコンピューターに入力して変換したのは)先週「切れ端・糸くず・独り言」と題を決めた時が初めてでした。なんてへんてこな変換だろうと思い、早速重たい広辞苑を広げ老眼鏡をかけ調べてみたらやはり「切れ」でした。

手織りの布は用途、材料、織、打ち込み、仕上げ洗いによって差はあるものの、いわゆる「本職」の方が織ったものでない限り、機械で織った布より解れ易いものが多く、ゆえに手織りを切ったり縫ったりする場合、ジグザグか、できればロックミシンできちんと始末をし、なるべく曲線の少ないパターンを使います。私が始めて自分の手織りに鋏を入れた時は深呼吸をして目をつぶり、それから薄目を開けて、えいやあと切ったのを覚えています。これは母に頼んで妹にスカートをあつらえてもらおうと思って織った生地でしたが、仕上げ洗いが気に入らなかったので、機のベンチのお座布団カバーにしました。いざ切ってみるとかなりしっかりしていて、折り返しもしないブランケット・ステッチだけで5年たった今でも解れないで私に敷かれています。つい先日残りで新しい機の為にもう一つ薄手のお座布団を作りました。

手織りを始めた頃は、作る作品を決め、寸法を決め、縮絨率等から必要な経糸の長さを逆算していったのですが、最近は経糸は短い時で整経台で最長の8m、長い時はミルで22mと決め、作品を織った残りで「きれ」を作っています。ベストの前身頃、既製のシャツに付けるポケットや肘パッチ、クッション・カバーと、大きさも用途もまちまちですが、先日この手の「きれはし」をまとめてみたら思ったより沢山貯まっていたので、その内また鋏を握り締め、腹を決め、えいやあと切ることになりそうです。

Saturday, May 27, 2006

手織りの布を織る人

埼玉の義母の実家では戦後(?)までお蚕さんを飼っていて「おりこ」さんたちが絹を織っていたそうです。「おりこ」という言葉をそのとき初めて聞きました。「織匠」という言葉は本で読んで知っていましたが、こちらはもう90歳くらいの人間国宝の方を想像してしまいます。広辞苑には他に「織物師」「はたおり」がありました。

私のように織と関連のない家に生まれ、趣味から始まって一生懸命機に向かっている人間をなんと呼べ良いのでしょう。英語の「Weaver」のような単純な言葉が見つからないのは、日本で織がとても真剣に受け止められていたからと思われます。気軽に「先生です。」「看護婦をしています。」という感覚で私の仕事を表現できないのが残念な気もしますが、ともあれ、「今日は織姫」、「今日は織婆」などと言いながら、はっとするようなスカーフ、「くるまれている」感じのするショールなどを目指してパタンパタンと織っています。