2020年12月30日水曜日

4年半で。。。

この日本語でのブログは4年半もお休みしたので、もっとお見せできる作品があるのではないかと英語版を探したんですが、ありませんでした。全く織をしなかったわけではないのですが、展覧会だの大きなプロジェクトなどから遠ざかり、もっと「普通」のマフラーのに力を入れた時期がありました。より効率的に仕事をしようと思った時期もありました。又は手紬、手染めを含む母の古いウールをしこたま持って帰ってきて、これを作品にしようと努力もしました。
 
カシミアのプロジェクト三枚全部がとても気に入らなくて、意識的にでなく全く自然に織をせず絵をかいたりコラージュばかりしたこともあります。実験的編み物、(私は長方形と筒しか編めません、)に入れ込んでいた時期もありました。母に「やめたの?」と聞かれても正直わからないと答えるばかりで、さりとて大変な量の道具・材料を処分するのも面倒くさいので、織部屋、毛糸部屋にはほぼ入らず、蜘蛛の巣が出来ました。(除虫材は入れて、換気はしたので、被害は出しませんでしたが。)他の作家のブログはおろか、Pinterestで生地を探すのもやめました。
 
なるようになるとでも申しましょうか、一年半たったある日、突然切っ掛けも理由もなく朝起きて当然のように仕事を再開しました。それが可成りうまく行ったんですよ。ただ、生来飽きっぽくて我儘なので、機から長ーく離れてることは珍しくないのですが。。。
 
2006年にブログを始めたころ、英語圏では欧米ともいろいろな織のブログがあって、お互いコメントから始まっていろいろお付き合いが始まり、四名ほどは実際にお目にかかりました。このころ日本語では手紬・手染めをなさる方がついでに織をされている感じで、しかもあまり交友関係ができなかったので、(それでも二名お目にかかりましたが、)段々フォーカスが母と母の生徒さんのために英語で存在する情報を訳したり、忘れっぽくなった母の質問に対して記録を残す形で返事をしたりと変わってきました。ただ2016年の展覧会を境に母の興味の対象が変わったというか、自分で面白いものを探求するのではなく、お稽古に行ったり来ていただいたりしてのお付き合いの方が重要になり、自分の織はまあまあ適当に、そして徐々になしになってしまいました。

既にご存知でしょう、織は独特な語彙が多く、また日本のように繊維に造詣の深い文化にはまた独特・固有の表現、言葉がありますよね。和服文化とはかけ離れた育ち方をして、英語圏で織を習った私には、織について話をするのはもとより、書くというのは至難の業なんです。英語版でさえポストの数が減ってきたのに、英語版とは違う内容を考えるのも面倒くさいし、日本の手織りの動向は全く把握できていないし、後から間違え、日本では単純に訳をしただけでは不十分なものを見つけると恥ずかしくて、実質上日本語版は廃版と考えていました。

数年前織を含むクラフトは英語圏ではInstagramに方向転換をしたから変えなさいとギャラリストからご指摘がありました。昔の仲間は教えておられるか本を書かれた方以外は大勢ブログをやめられ、中には織自体やめられた方、それから無くなった方もおられます。Instagramは一二度見てみましたが、のんびり時間をかけて考えをまとめるのにはブログの方が適していると思い、私はまだぐずぐずしているのですが、探してみると新しい方、昔知らなかった方など居られます。また、ここ一月探してみると、日本語の織のブログは数も増え内容も色々になって面白いですね。(ただ日本のブロッガーはほとんど本名を出されないのがとても違和感があります。)ちょっと前隅田川の水上バスの中でオーストラリアでさおり織の先生に路線変更したKazとブログの衰退について嘆いていたのですが、これは古い仲間が少なくなっただけで、新しい場所に出て行ってコメントなどすればいいのかなと思いを新たにしなければ。。。

ただ、日本語で織を書くのはしんどい。大声で独り言を言うより、縦糸通した方が人生の有効利用かなあ。
今日明日は賢い人ならやめてしまうプロジェクトを復活させます。縦糸がメリノ・モヘア混紡でとても切れやすく、以前は横糸にのみ使っていたのですが、色が素敵なので縦にかけてしまいました。サンプルは面白いものがたくさんできたのですが、いざスカーフを始めたら切れる、切れる。外して、横糸に再利用しようと断念、他の機の作業を済ませていたのですが、うまく行ったら絶対面白いので今一度挑戦。だめなら来年別のをかけましょう。

来年はいい年になるといいですね。

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