2007年11月24日土曜日

Carter Smithの絞り・織と染めの関係

昨日レッドで少し前のOrnament誌(Vol 30 No 3)を読んでいて、今年はじめに米国マサチューセッツ州で開かれたCarter Smithという作家の絞りの展覧会の写真にしばし見とれていました。染めは見るのは大好きですが、今まで経糸のペイントを含めて私自身ほとんど手をつけていません。

染め以外にもスクリーン・プリント、テキスタイル・ペイント、ビーズ刺繍、刺繍、ジュエリー、帽子、お裁縫といろいろ興味を持って、いくつか初歩的な手法を習ってきたのですが、習うたびに「極めるならこれ、あるいは織」という全くall or nothingの姿勢で織を選んできました。ところがこの頃、こういった手法を取り入れて、手織りをもっとよく見せたいという欲が出てきたのです。

故意に視点を変えてきたのか、自然にそうなったのか、自分でも良く分かりませんが、いつの頃からか徐々に自分の手織りを使って、その上に何かを載せたいと思うようになりました。ただ、手織りの布はあくまでも材料で、いつもその上に載せるビーズ、刺繍、絵具が主体になるような計画ばかり立てていました。

5月のエキスポではとても暇だったので、大きな単純な織柄の上に流動的な、ビーズを含めた刺繍がしたいと、頭の中でいろいろデザインし始めたのを覚えています。この辺から欲が出てきて、織柄が単純でなくてもいいではないか、surface design、(表面、つまり色を含めた、上に載るもの)の模様が必ずしも主役ではなくてもいいはずだと考え、織柄と表面が共存するようなデザインを考え始めました。

そして昨日、異例に早い熱波でボーっと絞りの写真を眺めながら、Smith氏の絞りはすばらしいけど、私が作りたいものはるものはsurfaceとその下のものが共存以上に、お互いを引き立てなければいけないと感じました。次第に頭の中で焦点の合わないスライドが映し出され、実際にこのようなものを作るのはどんな手法でどんな順番がいいのか迷いながら、同時にその戸惑いを楽しみながら、しばしこのスライドショーを観客のように「拝見」しました。今朝落ち着いて考えてみると、昔の着物は織、染め、刺繍を巧みに重ねて何層にも面白みのある布で、改めて日本の布は豪い!!と思います。

さて、考え方・視点は思いがけなく簡単にここまでたどり着いたのですが、実際にこのセオリーに基づいて何かを作るとなると、小学校の家庭科の絞りやろうけつを思い出しながら、かなり一生懸命染めもお勉強しなくてはいけません。あぁぁぁぁ、何で19のときに友達に誘われるがまま織を始めなかったのだろうと後悔しています。こんな面倒くさい事、2・30年では到底習得できっこないのに。。。

Smith氏のサイトで、先の展覧会からの写真はここです。

PS. このポストを英語で書いていて思いました。西洋の方から見たら、絞りやろうけつを図工・美術ではなく家庭科で習ったというのは変に見えるかしらと。今でも日本では小学校の家庭科で染を習えるのでしょうか?

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